ぼくは今日、完璧な喫茶店を発見してしまいました。
すごくテンションが上がってしまい今回はとても長い文章になってしまいました。どうかご了承ください笑
完璧な喫茶店は、発見のシチュエーションから完璧。
岡崎の北の方、初めて歩く町。
迷路のような路地を歩いて角を曲がる度、未知なる土地の魅力に吸い込まれていくぼく。
静かなラブホ街を抜けた頃、ぼくの腹が鳴り始めました。
「いいお店あるかな。次の角を曲がったらいい喫茶店があったりして。」
とか考えつつ、次の角を曲がると、ぼくはあまりの衝撃に唖然としました。
本当にあったのです。
地図に載っていない未開のオアシスが。
4,5階建てらしきビルの壁から 「千」 という看板がまるでつるのように張り出しています。
スプライトのレトロな看板がなんとも言えないです。
でも超純喫茶風の店名にもかかわらず、その上には何故か"ITALIAN"と書かれています。
そのアンバランスさに頭の中でクラクラ現象(佐藤雅彦「毎月新聞」参照)が発生。
店構えを見る前から身震いがするのは初めてです。
近づくとぼくは卒倒しそうになりました。
ぼくの想像を超えた店構えだったのです。
ここで、蛇足ですがどうにもとまらないぼくの想像とやらを紹介しますと、窓は通りに面して3、4つの出窓、壁はくすんだ白色(ところどころひび割れが入っ ている)、窓枠はこれまたくすんだ深緑、窓の下にはチューリップやコスモス、アロエなど雑多な花壇(奥さんの趣味だろうか)、でも中は意外ときれいなテー ブルで少し残念、なんていう喫茶店。(あー、ほんと蛇足。)
仮に「千」が想像通りの店構え(んなわけありませんが。)だったとしても、ぼくの脳内にあるローカル喫茶ランクでは相当上位の喫茶店であることには間違いありません。
しかし、「千」はその想像をはるか上を行っていました。
看板の前まで行くと、なんとお店がありません。
焦って首をぐるぐる回すと、発見しました。
4,5階建てのビルの1階、ピロティになって暗いガレージになっているところ、目を凝らすと、なんとその奥に喫茶店が怪しい光を放っているではありませんか。
ぼくはまるで悪魔に誘われるように奥へと突進。
そして、いかにも自動では開かなそうな自動ドアの前に立つと、「ブイーン」と重たい音を立ててぼくの前に道ができます。
と同時に「いらっしゃい」と予想外にも明るい声がぼくにかけられます。
ディープな外観とのギャップがなんだか嬉しくて本日2度目のクラクラ現象。
テー ブル席は常連のおっちゃん、というかおじいちゃんでいっぱいなのでカウンター席に通され、背の高いカウンタースツールに腰を引っ掛けると、目の前には年季 の入ったエスプレッソマシン(看板の"ITALIAN"の謎解消。)、実験装置のような見慣れぬ浄水器(?)、古くなって日焼けしたメニューの札。
席に着くとすぐにご主人に話しかけました。
「こんなとこにあるなんて」
「よう来てくれた」
こんな興奮しているぼくは久しぶりです。
コーヒーとハンバーガーを注文。
待っている間に店内を見回す。
主人の趣味らしき骨董品が並べられています。
昔のテレビに、壁掛け電話、ミシン台。手回しオルゴールなんてのもあります。
キッチンの棚の上には汚れきったプラスチックの日めくりカレンダー。
ガラクタのごとく置いてあるけど、よく見ると「4月16日」。ちゃんと合っています。
来る日も来る日も忘れずめくっているのでしょう。。
その些細な発見に妙にうっとりします。
コーヒーが出てきました。
「エスプレッソコーヒー」と言って出されたコーヒーは黄色のちゃちなソーサーに乗っています。
白いカップは分厚い陶器製で、口に当たるとやさしい感触が伝わってきます。
黒々としたエスプレッソコーヒーを啜ると、あぁ、なんと幸せな味か。
とリラックスしているのも束の間、ハンバーガーがまもなく到着。
なんだこりゃ?
ドカンとぼくの眼前に置かれたのは、巨大なまるっこいパンの塊。
マクドナルド化してしまったぼくらの脳内ハンバーガーイメージでは到底太刀打ちできないお姿。
それでも、かすかに入れられた切れ目からハンバーグらしき物体が見えたのでかぶりついてみました。
と、これがなんとも美味しい。
パンのやわらかさ、ハンバーグのジューシーさ、ソースの絶妙なる酸味。あぁうまい。
ご主人は言う「ご満足いただけましたか?うちは自分が美味しいと思うもの以外は絶対出さない。」
そして、さらにご主人は続けます。
「若い人たちには是非とも"本物"のものを食べてもらいたい。ヨーロッパで銀の食器を使っているのは毒物が入っていたら変色して、これは危険な食べ物だってことがわかるかららしんだね。」
うんうん、なんかちょっと話がそれましたが、グッと来るお話です。
その後2時間近く話し込んでしまいました。
こうしてぼくの千での一日は更けていったのです。
ぼくは今日、素晴らしい喫茶店に出会ってつくづく思いました。
感動的な出会いは自分の足で歩いてこそ生まれるんだな、と。
誰かに教えられてではなく、雑誌にのっているからではなく、ましてネットで検索して出てきたものではなく(←このブログはどーなるねん笑)、自分で発見したときに大きな感動が得られるような気がします。
となんだか分かったようなことを言ってしまいましたが、ふと、たかが喫茶店(失礼)に一喜一憂できる自分に気づいて、あぁぼくはなんて幸せなカラダに生まれたんだろう、おかんよありがとう、とか思うわけです。笑
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コーヒーショップ 千
左京区岡崎 東天王町15(地図)
075-771-5038
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ご主人の話を聞いているとたくさんの刺激をもらいました。
ちょっと考えたことがあったので、せっかくだし書いておきます。
ご主人つまり戦後世代の先輩たちは、ぼくらと比べて物事をよく観察しているということです。
それをご主人は"思慮深さ"と言っていました。
ぼくらはインターネットのどこに面白い動画があって、どのテレビ番組の星占いが一番よく当たるかを知っているけれど、戦後復興の主人公たちは、なんでインターネットが一瞬にして世界にアクセスできるのか、星は何から出来ていて、どんな活動をしているかを知っているのです。
なんで飛行機は飛ぶのか、なんでモーターは回るのか、なんでラジオは聞けるのか。
物事の仕組みを知っているのです。
そして、新しいものに出会っても、その仕組みを理解しようとします。
ぼくらはそんなことはしません。
なぜなら、ぼくらが生まれたときには既に便利で複雑な物事がたくさんあり過ぎたのです。
仕組みを理解しよう、なんて言おうものなら、理解しなけりゃならない対象物がごまんとありました。
だから、理解をすっとばしてその便益だけを楽しむことにしました。
すると何でも与えられるままに受容するようになりました。
すると何事にも疑問がわかなくなりました。
すると理科離れが進みました。
すると深く考える能力が低下しました。
感覚だけでいいじゃん、と考えるようになりました。
感覚人間が生まれました。
そして感覚世代を形成しました。
そして、それこそがぼくらなのです。
ご主人の話を聞きながらそんなことを考えました。
またちょっとぼくの考えが変わりました。
シンプルに物事の仕組みについて興味を持とう。
なんで冷蔵庫は冷たいの?
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